Top Message 代表者プロフィール
Shuichi Yamaguchi
山口修一3Dプリンター総研 CEO / CTO

3Dプリンター総研設立の経緯

 私が初めて「3Dプリンター」という言葉に出会ったのは1988年頃である。当時私は大手プリンターメーカーでインクジェットプリンターの開発に携わっていたが、アメリカの3D Systemsという会社がインクジェット技術を使ってろうそくのパラフィンを吐出する3Dプリンターなるものを開発しているという噂を耳にした。次に3Dプリンターに関係したのは、私が2011年に「インクジェット時代がきた!」の書籍化を検討している際である。この書籍は、インクジェット技術が実はプリンターだけでなく、電子部品や人工骨を作れ、次世代のデジタル製造技術のコア技術であり、それに日本は取り組む必要があることを多くの人に伝えたく企画した書籍である。この際、この技術の応用事例の一つとして3Dプリンターを取り上げた。この書籍は光文社新書として2012年5月に出版され、これまで3Dプリンターという言葉に触れたことのない多くの人にその原理や用途を知らしめた。その年の12月にはクリス・アンダーソンの「MAKERS」が出版され、空前の3Dプリンターブームが到来した。しかし当時の私の3Dプリンターに関する知識といえば、書籍執筆のためにネットで調べた情報と幾ばくかの技術文献からの情報であった。

 その後この書籍出版をきっかけに、様々な機関や大学、企業、メディアから3Dプリンターの講演や論文の執筆の依頼が殺到した。しかし実際には、その当時の知識では依頼内容を満たすことは難しかったため、急遽3Dプリンターを購入し、多くの技術セミナーに出席し、文献を読みあさった。その甲斐あってなんとか、これらの依頼をこなしていた。そのような活動の中で、海外の最先端の情報を得るべく、当時3Dプリンターの最先端の展示会であった、ドイツで開催されたeuromoldへ視察に行って衝撃を受けた。日本で得ていた最先端と思っていた情報とはかけ離れていて、海外勢は遙かに先を行っていた。このままでは日本は3Dプリンターによる次世代のものづくりから取り残されてしまうという危機感から、世界の最先端の技術情報や市場情報を伝える必要があるとの思いに至り、2014年に株式会社3Dプリンター総研(3D-Printer Research Institute:3DRI)を設立した。

日本のものづくりはまだまだこれから

日本のものづくりは1980年代をピークとして、世界における存在感は低迷したままである。しかしチャンスもある。それは日本が世界に誇ることのできる数少ない技術である「インクジェット技術」である。この技術は画像や文字の印刷というプリンター用途にとどまらず、ナノ金属材料を使ってセンサーや回路を印刷したり、人工骨を3Dプリントすることもできる。液晶テレビの部品製造には欠かせない技術でもあり、病気を診断するバイオチップの製造にも応用されている。
 なかでも3Dプリンター分野では、7つある造形原理の中で4つの原理にインクジェット技術が応用されている。もともとホームやビジネス用インクジェットプリンターでは日本は世界シェアの半分を占めている。中でもインクジェット技術のコア技術である、微細な液滴を形成するインクジェットヘッドでは世界シェア80%以上を日本および日本資本の海外メーカーが占めている。しかし3Dプリンターに着目するとそのシェアは5%以下であり、完全に出遅れている。もともと持っている高度な技術を活かすには、世界のマーケット情報やユーザーニーズ、そして競争力のあるビジネス戦略構築が不可欠である。3DRIは、日本の3Dプリンター業界が発展し、日本が世界のデジタルものづくりをリードしていけるよう日々挑戦を続けていきたい。

 このインクジェット技術を応用した3Dプリンター関連ビジネスの拡大や成長こそ、日本が再びものづくりのフィールドで存在感を示す有力な方法であるとの確信のもと、この技術の普及や開発、そして市場への浸透に微力ながら貢献したい。

山口修一やまぐち しゅういち

株式会社3Dプリンター総研 CEO / CTO
3Dプリンター & インクジェットコンサルタント
工学博士

1983年 東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修了
同年エプソン株式会社(現セイコーエプソン株式会社)に入社
主にインクジェットヘッドやインクの開発に従事
1994年 世界初の写真画質プリンターの製品化を主導した後、社内ベンチャーを立ち上げる
1997年 退社後マイクロジェット社を設立 代表取締役に就任
インクジェットによるものづくりの研究開発を技術支援するビジネスを開始
2012年 「インクジェット時代がきた!」を光文社より出版 
一般書籍で初めて3Dプリンターを解説
2013年 大阪大学工学研究科機械工学博士後期課程修了
2014年 株式会社3Dプリンター総研設立 代表取締役に就任

著書 抜粋
2012年 「インクジェット時代がきた!」執筆
2015年 「産業用3Dプリンターの最新技術・材料・応用事例」監修、執筆
その他、専門書籍でのインクジェット技術や3Dプリンターについての執筆多数

論文 抜粋
“3Dプリンティング技術とこれからの日本のものづくりについて” , 日本画像学会誌, Vol. 53, No. 2, pp. 119-127(2014)
他多数

Masahisa Kaneko
金子将久3Dプリンター総研 CCO

3Dプリンターとの出会い

 3Dプリンターとは、ごく最近になって呼ばれる名称で、元々は試作製作機(ラピッドプロトタイピング)の一つです。
 1980年代には既に実用化されていて、40年以上の意外と長い歴史があります。
 1990年代は、光造形機を使ったアートを目にすることが増え、液体からニョキニョキとオブジェクトが出てくる様はまさにSFの世界そのもの。そのビジュアルに感動した記憶があります。
 3Dプリンターは夢の出力機、なんでも作れる製造機。そんなイメージを持たれる方もいるかも知れません。1970年代に放映されたアニメ”宇宙戦艦ヤマト”には既に自動工作機という機械があり、まさに現代の3Dプリンターの様です。そのイメージは当時子供であった方々に刷り込まれているのかもしれません。

3Dプリンターのいま

 確かに3Dプリンターは応用のきく製造機ではありますが、その種類には様々な方式があり、産業用に至っては、現在それぞれの用途に特化した開発がされています。特化した用途と考えると、今までの製造機となんら変わりはないとも言えます。試作製作機は3Dプリンターという名前になり、ブームが生まれました。adidasなどのシューズメーカーは試作機としてではなく最終製品を作る機械として、3Dプリンターを活用するようになりました。金型に取って代わると言われた時もありましたが、明らかに新たな製造モデルを創り、今まで難しかった製品作りが行われていると思います。今後もその試みは進んで行くでしょう。

 現在3Dプリンターが大活躍している分野を語るなら「ロボット」は最も適切なジャンルのひとつでしょう。ロボットは関節が多く複雑な機構を持つことがほとんどです。金型による量産前提でデザインすると設計の自由度が減ってしまいます。ロボットに限らず、あらゆるプロダクトは量産するためのものづくりになりがちです。本来であれば、自由で新しいアイディアが必要です。ロボットのようなまだまだ規格化されていない新しいジャンルのデザインには、量産のことを一回忘れて自由に考えることが可能な、3Dプリンターによる製造が当たり前のように取り入れられています。3Dプリンターでもある程度の数量の生産は十分可能なのです。このように、産業として成熟していないジャンルでは、3Dプリンターを何の抵抗もなく使っています。むしろ、3Dプリンターでなくてはならないのです。

 その中で、「スポーツアパレル」というジャンルのプロダクトでadidasは奇跡的な提案を実現しました。3Dプリンターで生産されたソールをもつシューズの世界販売です。シューズは、金型を使って生産される「アパレルと工業製品のちょうど中間のような製品」であることが、とても大きな成功の要因であると考えています。多様性の高いアパレルの製造工程として画一的な金型での成形という、ある種異質なものがそもそも採用されていたからこそ、そこを3Dプリンティングで代替するという画期的なイノベーションが受け入れられ、トライアンドエラーを繰り返すことができたのではないでしょうか。

 世の中には、こういったイノベーションの余地がある産業が多くあると思います。3Dプリンターを使って新しい生産モデルを作り出す、つまり、新しい価値観を作り出すことで、デザイン的にも製造技術的にもコスト的にもアドバンテージを獲得できる部分がまだまだあるはずです。それが商品や業界の持続的なブランドにつながるのではないでしょうか。

人にはつくれない、機械だからできること

 多くの人は、ものづくりはまだまだ人の手で行われると思っているのではないでしょうか。身近な製品であるスマートフォンは、基板の製造から組み立てに至るまでのほとんどを機械が行っています。そして機械が苦手な組み立てのみを人間が行います。つまり機械を助けるのが人の役割です。精密で複雑な設計や組み立ては、もはや機械にしか行えないのです。今使われているスマートフォンは誰が作ったのでしょう?人でしょうか?機械でしょうか?

 私たちが今行うべきことは、ものづくりを再認識することです。劇的に変化する機械生産の世界を理解し、関わっていくことが必要です。そしてそれを利用していくことです。

金子将久かねこ まさひさ

株式会社3Dプリンター総研 CCO
~1995年 某自動車デザイン会社 クレイモデラー
1995年~1996年 HFG Pforzheim KFZ(ドイツ留学)
1996年~1997年 株式会社未来技術研究所 プロダクトデザイナー、デジタルモデラー
1997年~2000年 Square USA Inc.  デザイナー兼デジタルモデラー
2001年~ BluePlanDesign創設(後にPunktに改名)デザインコンサルタント、デザイン、モデリングサービスなど
2004年~2012年 カシオエンターテイメント株式会社(役員) カシオ計算機関連会社(役員) 新規事業開発など
2020年 株式会社3Dプリンター総研 CCOに就任
~現在 Punkt(代表) 3Dソリューションコンサルタント